暖かみの側で安らぎを 前編
そろそろコートが要るかもしれない秋の候。  白い息が目の前に現れては消える夜中の十二時過ぎ。  飲酒検問をやっている交通課の由美のところに、佐藤と高木が互いの車に乗ってやってきた。  然る殺人事件の容疑者の一人である男が、この近辺にいるという情報があったからだ。  以前に一度、事情聴取はしてある。  しかしもう一度詳しいことを聞こうとしたら、電話が繋がらなかった。  急いで所轄の人間を男の家に遣ると、車が無くなってた事が報告された。  男が乗っているはずの車種を丁度検問の応援に行っていた由美に伝えると、 検問で並んでいる車の列の後方で見たという。  到着した佐藤と高木は教えてもらった方向に目を向ける。  確かにナンバーも一致した。  無言で頷きあい二人でその車まで行くと、予想通り容疑者が乗っていた。  彼女がコンコンと運転席側の窓ガラス甲で叩く。  「先日はどうも。捜査一課のものですが」  警察手帳を見せ、ガラス越しに告げたその瞬間。  彼女の姿を認めた容疑者の目の色がみるみる変わった。  突然レバーを切って車の列から左の車線へ飛びぬける。  前後の車にぶつかりもせず、見事なハンドル捌きで方向転換をしてアクセルを踏んだ。  そしてそのまま道路を逆行して走り出す。  どう考えても逃げる気だ。 「――っ!なんてことなの……追うわよ!」 「はっ!」  佐藤は同行していた所轄の刑事達に急いで指示を出して、自分と高木も各々車に乗って追いかける。  深夜の都心部に鳴り響くサイレンの音。  幸か不幸か、時間が時間なので道路に車が少なかったのが両者の車のスピードを 最速にしていた。  離されはしないが、追いつきもしない。  容疑の男は元暴走族ということもあってか、その技術を如何なく発揮しパトカーの追随を中々許さない。  しかし警察側も追う事が仕事の一つだ。  最もその追跡技術があるであろう佐藤が、二車線から三車線に変わったところで瞬く間に男の車に並んだ。  止まりなさいとスピーカーで警告する。  男が舌打ちをして、佐藤のアンフィニにぶつかってくる。  向こうのほうが大きいので思わずハンドルが泳がされるが、そこで止まるほど佐藤の腕は生半可ではない。  細やかなコントロールで体勢を元に戻した。  だが、このままこの道路を真っ直ぐ行けば住宅地に近づいてしまう。  追いかけられて心理的に異常を来した容疑者が、民間人を人質に取らないとは限らない。 「仕方ないわね……っ」  余計な被害は何としてでも避けたい彼女は、意を決して一旦男の車から横に距離を空けた。  そして、角度をつけて急発進。  ほぼ直角に近い形で、追っ手を払おうとする大きな車の前に回りこませた。  目の前に突如現れる真っ赤な車。  驚いた男は思わずハンドルを真横に切った。  無理な運転にスリップが起こる。  しまった、と佐藤が気付いたが遅かった。  男の車は通常ではありえない傾きと速さで、少しだけ浮いた。  車線沿いの二十四時間営業ファミレスに突っ込みそうになる。  反射的に彼女は目を閉じた。  が、そのファミレスの窓ガラスの割れる音はしなかった。  代わりにブレーキ音と鉄同士がぶつかる大きな衝突音がした。  予想外の音に彼女が瞼を開ける。  そして、信じられない光景を目にすることになる。 ――嘘!?  高木のスカイラインがファミレスと男の車の間に割って入ったのだ。  佐藤以上の角度とスピードという、普段からは想像も付かない荒い運転で回りこんだ高木の車が、 道路に跡がつくほどのブレーキ音を出して男の車にぶつかった。  正面衝突を避けボンネットを相手の助手席に当てたものの、車同士が互いに猛スピードで 当たったことには違いない。  運転席にいた男は助手席側のドアがひしゃげたのと同時に、エアバックとシートの間で気絶をした。  一方背中から強い衝撃を受けた高木は気を失ってはいなかったが、その全身に響く痛さに呻いた。 「高木君!」  血相を変えて佐藤が叫ぶ。  すぐに救急車を呼んで、二人は運ばれて行く。  佐藤も、後からパトカーで同じく追いかけてきた由美に「あんたも行くのよ!」と半ば無理やり 救急車に同乗させられた。  そして担架に横になった高木に向かって「ごめんねごめんね」と謝り続けた。  どうせなら気絶したほうが楽だったかもしれない彼は痛みに顔をゆがめそうになる。  しかし泣きそうになってる佐藤に「僕が勝手にしたことですから」と高木は笑いかけた。  彼女の震える声と、彼の痛みを乗せた救急車は真夜中の都心を走っていくのだった。