真夏の蝉が鳴く炎天下の町。 ヘルメット越しに見える周囲の警察官の足が陽炎でゆらゆら見えた。 防護服を纏っているせいで蒸し暑さがよりいっそう体に染み込んで辟易する。 もう慣れたとはいえ、やはり勘弁願いたいものだ。 「こんな暑苦しい日に犯人もよくやるな…ったく」 松田は警官が群れている場から少し離れたところの木本に座り、不平を呟く。 ここは鳥取県。 つい最近東京の警備部からこちらの警備部に飛ばされたばかりだ。 二年ほど前殉職した親友の敵討ちをしようといきり立っていたら、上から目をつけられてしまったらしく、 それ以降全国の警察を点々と回らされている。 頭を冷やせということなのだろう。 松田からすれば早く東京の警視庁に戻りたいところだが。 そんな中、転属させられた先の鳥取で娯楽施設に爆弾を仕掛けたという電話が県警本部にかかってきたのは今朝だ。 県内全ての娯楽施設の営業を中止させ、しらみつぶしに爆弾を探すことになった。 昼近くになって都心部の水族館に爆弾らしきものがあるという報告が本部に通達される。 そこでやっと松田の所属する警備部が出動したわけだが、調べてみると偽物だった。 捜査が振り出しに戻ってしまった警察は頭を抱えたが、それで終わるわけには行かない。 そして現在水族館の外の駐車場で今後の相談をしているのである。 爆弾の処理は警備部の仕事だが、爆弾の捜索は刑事部だ。 松田達爆弾処理班は刑事部に捜索を任せて一時待機となっていた。 (マジで暑いな……) 木陰で座っていても暑いものは暑い。 対爆スーツを脱ぐのは今のところ駄目だが、ヘルメットくらいはいい加減外そうかと考えていると、自分のすぐ側に人の気配を感じた。 横を見上げれば、刑事と見られる青年が手を後ろに組んで立っていた。 黒系のスーツを着て髪の毛を短く刈り上げた、自分よりも幾分若い男だ。 「ここの爆弾、空振りだったそうですね」 「……どこの部署だお前」 「貴方と同じ警備部の公安課ですよ。先輩と一緒にちょっと見にきたんですけど、無駄だったみたいです」 「ああ、あのいるのかいないのかよくわからねえ公安か」 そんな言い方しなくても、と青年は苦笑する。 捜査内容が内容なのでおおっぴらに動かず裏で色々工作しているような印象があるところを、「いるのかいないのか」と皮肉ったのだ。 よく公安はどこぞの銀行員みたいな風貌をしていると揶揄されるが、この青年はどうも毛色が違うようだと松田は内心思った。 「――で、何の用だ。まさか世間話をしに来たわけじゃねえだろ」 「貴方が退屈そうだったから、捜査でわかったことを伝えようと思ったんですけど」 「また刑事部から捜査資料ぱくったのか」 「ぱくったんじゃなくて、今貰ったんです」 「どうだかな」 鼻で笑って見上げていた視線を前に戻し、刑事部との仲の悪さを指摘する。 流石に「ぱくる」ことは無いが、それに近い、特権を使った無断借用は噂でたまに聞く。 本当かどうかはわからないし松田自身そこまで興味はないことだったが。 一方随分酷い言われようをされた公安の青年は、そこを弁解しても意味無いことだと悟ったのか、 困ったようにため息をついてから捜査状況を話し始めた。 「今朝かかってきた電話を逆探した結果犯人が特定されたのですが、56歳の大学工学部教授です。現在行方不明。 動機は病死した娘への弔いだそうです」 「なんだそりゃ」 弔いと爆弾設置の意味が繋がらず松田は呆れる。 「その辺はよくわかっていません。ただ、娘さんが亡くなってから麻薬に手を出した事実も出てきました」 「娘を亡くした事実から逃げようと思い麻薬に手を出し、ラリって爆弾設置ってか?」 「そういうこともありえますね。犯人は娘の死に相当ショックを受けていて、娘の存在すら忘れようとしていた 素振りがあったようですし。忘れたいという願望が爆弾という形で叶えられると思ったのかもしれません」 犯人の動機を聞いているうちに自然と脳裏に親友の姿がよぎった。 大事だったからこそ忘れたい。 自分も二年前の十一月七日からずっと考えていることだからだ。 敵を討ちたいとは心底願っているが、同時に忘れたほうが前に進めるのではないかとも思っている。 過去にこだわる自分を、萩原は自分のためとは言え喜んでくれるだろうかと。 忘れたほうがいいこともあるのではないかと。 「……随分はた迷惑な男だぜ。忘れたほうが楽だという気持ちもわかるがな」 深く考え込む前にかぶりを振って話をあわせた。 だが青年はそんな彼の言葉に少しだけ黙った後、予想外の疑問を投げかける。 「本当にそうでしょうか」 「あ?」 もう一度横を見上げると彼も見下ろしてきた。 影でその表情はわかりにくかったが。 「人は思い出の中でしか生きられません。もしこの犯人が忘れてしまったら……本当にその娘さんは死んでしまいますよ」 その言葉に松田ははっとした。 ヘルメットを被っているし、立っている彼と座っている自分とでは顔を伺うことが出来ないため気付かれてないようだが、 松田はひどく狼狽した。 親友を本当の意味で死なせようとしていた自分の愚かさに、そこで初めて気付いたからだ。 忘れることと、前に進むことはイコールではない。 内心の動揺を抑えつつ俯いて、松田は青年に問いかける。 「お前も、誰か近い人が死んだことあるのか」 「誰だって多かれ少なかれ親しい人を亡くしているものじゃないですかね。例えば祖父母がいない人はたくさんいますよ」 「……そうだな」 はぐらかされたような答えだったが、松田はそれ以上何も言わなかった。 青年も黙って目の前で繰り広げられている先輩刑事達の捜査を見つめた。 そして数分後、高速道路での犯人発見と爆弾のもう一つの在り処わかったという知らせが両方入り、捜査が展開することになる。 松田とその青年もそれぞれ行くべき場所へと向かった。 前者はもう一つの爆弾へ。 後者は県警本部へ。 別れる間際では、青年のほうから会釈があっただけだった。 丁寧に45度お辞儀をして「では、がんばってください」という言葉に、松田が片手をひらひらと挙げただけで。 お互いに名乗ることも無かった。 結局ヘルメットを取らなかったので、素顔で対面することは無かったが、これからも会うことはないだろうと松田は思ったからだ。 同じ部署とは言え、行動の方向が違うし内容も秘密裏な物が多い。 青年のほうも同じ思いだろう。 それから数年後。 青年は松田優作の存在を違うところで耳にすることになる。 だがあの時出会った機動隊の男が松田だということ、更には当時その松田から青年の言葉をそのまま使って 佐藤を励ましたということを青年本人が知ったかどうかはわからない。 高木も、松田も、佐藤も、何かに気付きながら知らない振りをしていた。 その心の中に、大事な人が生きているから。