花さらい

学校から京阪電鉄に乗り寝屋川で降りるつもりだった和葉は平次の「ちょっと足伸ばして円山公園の桜見に行かへんか」という誘いでそのまま
京都にやって来た。今日は体育館のワックスがけで2人とも部活が無かったのだ。電車に暫く揺られて四条に着くと、あたりは夕焼けで朱色の空が広がっていた。
そこから徒歩で十数分。枝垂桜で有名な円山公園には平日とはいえ、いつもより人は多かった。 皆公園の中央に咲き誇る桜に見とれている。 ピンクというより白にほんのりと桃色が色づいた花びらだった。

「毎度のことやけど、ここの桜は綺麗やな」
「そやね」


2人も大きなその桜を見上げ目を細める。毎年、ここには春になると桜を見に来ていた。
和葉が誘うこともあれば、今日みたいに平次が誘うこともある。彼女は特に桜が大好きと言うわけではない。
好きだが、それ以上に平次と来ることに意味があった。 一方平次は、桜を見るのが殊更好きらしい。
花見の後はいつも彼は機嫌が良かった。 それはいつものような陽気な上機嫌ではない。
どこかふわふわとした、澄んだ気持ち。 そんな感じだった。

和葉は隣に立つ平次をちらりと見た。そしてどきりとする。
彼は少し儚げな表情をして桜を眺めていた。 毎年桜を見るごとにその表情は哀しさを増しているように感じた。
花見の後は機嫌は良い。 だが、見ているときはなぜか彼はいつも哀しそうなのだ。


桜を見て、この人は何を考えているのだろう。


彼女はそう思っていたがなぜか聞いてはいけない気がして、尋ねたことは一度も無い。

いつもそうだ。
聞きたいことはたくさんあるけど、最後の最後で伸ばしかけたその手を引っ込めてしまう。
昔に比べ随分と臆病になったものだと自嘲する。毎年変わらず咲き誇れる桜が羨ましい。
目の前に広がるこの花は、今も昔も変わらない。 こんなに自分は臆病になったというのに。

桜を見つつ心がどこかに飛んでいた彼女の耳に、ふと現実に引き戻すかのような音が入ってくる。
烏のどこか間延びした鳴き声を聞いて和葉ははっとした。
いつの間にか長い時間が過ぎていたようだ。 辺りが少し暗くなり始めている。
部活が無いとはいえ、だからこそたまには早く家に帰ったほうがいい。
もうそろそろ行こうと彼に声をかけようとした。

しかしその瞬間、強い風が公園に一気に吹きぬけた。

ぶわっと真ん中の桜から、周りの桜から、花びらが一斉に舞い散る。 まるで雪のようだ。
見事な情景に見物客からも悲鳴や歓声が上がる。

和葉や平次の間にもたくさんの花びらが舞った。



 「……なんや和葉。どうした」
 「え」


気付くと彼女は平次の学ランの袖を掴んでいた。そして慌てて手を引っ込める。


「な、なんもないよ。それよりもうそろそろ行こうや。特急に間に合わんようになるで」
「いきなり袖掴んで変なやっちゃな。まあええわ、隣の八つ橋でも買うて帰ろか」


桜を名残り惜しむことなく、意外とあっさりと同意すると彼は鳥居に向かって歩き始めた。
彼女もその後ろをついて行く。 彼の袖を掴んだのは衝動的だが理由はある。

桜が平次をどこかに連れて行きそうな気がしたのだ。

だから咄嗟に掴んだ。どうか連れて行かないで、と。
なぜそんな気がしたのかはわからない。 ただ、掴まなければ彼は自分の側からいなくなるような感じがした。

木が生い茂った石畳を歩いて鳥居の前に来る。
鳥居を抜けるとやや長い石段があり平次が先に数段降りる。
そしてくるりとこちらに振り向いた。ちょうどこちらが彼を見下ろす高さになる。


「何なん?」


怪訝な顔をして聞く。


「手」


彼は一言だけめんどくさそうに答えて手を彼女に差し出す。手を取れ、ということだろうか。


「……なんや珍しいなあ。なんか工藤君がしそうなことやん、それ」


内心とても嬉しかったのだが、恥かしくてついはぐらかす。それに対して彼は眉を顰めはしたが、「アホか」と言い
手はそのまま彼女のほうに向けた。


「お前去年ここ来た時、この階段でつまずいたやろ。あん時は俺が支えたしよかったけど、また今年も同じことされたらかなわんしな」


はよしいや、どんくさい女やなーと続ける。


「なっ…どんくさくなんかないで!あの時は桜もっかい見れへんかな思て後ろ振り向こうとしただけや!」
「そこがどんくさいいうねん」
「絶対ちゃうもん!…でもまあ、平次がこんなんしてくれるなんて滅多に無いしやってあげるわ」


そうして彼女は彼の手をとった。
「なんでお前がそんなに偉そうやねん……」と平次はぶつくさ言いながらもゆっくりと階段を2人で降りていく。
少し灰色がかった夕焼けのおかげで見えにくいが和葉の顔は空と同じ朱色だった。
平次のほうは先に降りているため顔は見えない。




去年、ここで後ろを振り向いたのはそういえば平次に言われた言葉がきっかけだった。
同じように枝垂桜を見ていたとき彼が


 「なんで桜の下には死体があるんやろう」


と言ったのだ。



その言葉を思い出して振り返った。本当に死体があるのか確認するかのごとく。

そのときの記憶が蘇り不意に和葉は理解した。
なぜ平次は哀しそうなのか。なぜ桜は平次を連れて行くのか。

しかし、先ほどの公園で風が吹きぬけたときのような恐怖は無かった。




――この手が繋がっている限り、桜は平次を連れて行かない。



彼女は合わさった手を少しだけ強く握り締めた。





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