日付変更と恋人達

冷蔵庫から缶ビールを一本取り、濡れた頭をがしがしとタオルで拭いて、居間に戻ると少し開いていた引き出しから見慣れたものを見つけた。
あまり他意はなく中から取り出し、折りたたんであるそれを開く。

「氏名・高木渉、階級・巡査部長、所属・警視庁……」
 
佐藤は中に証された身分をポツリと口に出して読む。
近年一新された警察手帳はまだ真新しかったが、写っている顔は数年前のものだ。
警視庁に配属される数年前のものだろう。
そんなことを思いながら腰を降ろしちゃぶ台に肘を乗せて、その少し幼さの残る顔つきをまじまじと見つめてみる。
見れば見るほどそれは彼なのだが、でもどこか違和感を覚えた。
年齢の差ではない。

「……ちょっと、尖ってる?」

佐藤が感じたのは目に見えるものではなくその写真が写し出す雰囲気だった。
今の彼からは感じない、少し尖ったオーラが出ている。
誰でも写真を撮るときは緊張して顔がこわばるだろう。
だが彼の場合はそういった緊張ではないように感じる。
そう、例えるならば少し他人と距離を置くような空気の―……

「あれ、何見てるんですか佐藤さん」

背後からこの部屋の主が声をかけてきた。
佐藤の後に風呂に入っていたのだ。
彼女が髪をろくに拭きもせず缶のプルタブも開けないまま、自分の警察手帳を真剣に見ている姿は何とも不思議なものだっただろう。
彼の手にも缶ビールがあり、興味深そうに佐藤の隣に座る。

「んー、ちょっと珍しかったから見てただけ」
「珍しいって……佐藤さんだって同じもの持ってるじゃないですか」
「私が見てたのはあなたの写真よ」

そう答えると彼は目を丸くさせた。
そして缶を同じくテーブルに置き彼女の持つ自分の顔を覗きこんだ。

「どっか変わってます?」

そりゃまあ年は取りましたけど、と苦笑したが佐藤が同じ笑みで返すことは無くて。
代わりに何を思ったのか、じっと彼の顔を見つめてきた。
彼はいきなりどアップで映った彼女に思わず立ち上がりそうになったが、 それを何とか押しとどめ背中だけ後ろへ仰け反る。
日付変更20分前に恋人に突然そんなことされたら誰だって慌てるだろう。
佐藤に限ってそういった裏のある行動は取らないことは経験上わかっていたので、一体何を考えているんだと、風呂上りのくせに冷や汗をかいた。
そして互いの意図するところは露知らず数十秒ほどが経って、

「うん、やっぱり高木君って人間が丸くなったんだわ」
「……は?」
「元々丸かったんだろうけど、警視庁に入ってもっと人間が出来たんじゃない?」

彼女は喉元につっかえたものが取れたようにすっきりとした顔つきで至近距離だった姿勢を元に戻した。 警察手帳も元あった場所に仕舞う。
一方予想外の返事に彼は一瞬意図がわからず考え込んだ。
そして今度は数秒後。

「……つまり以前の僕は少し角があると?」
「そういうわけじゃないわよ。ただ、今に比べたらちょっととっつきにくいかなって感じ。 天下の警視庁捜査一課で揉みに揉まれ大人になったのよ、きっと」

良い事じゃない。
そうにっこり笑って彼女はやっと缶に手を伸ばした。
指ではじくと乾いた音と共に白い泡がアルミに飛び散る。
次には置いてあるままのもう一本にこつんと当てて、「かんぱーい」と告げおいしそうに飲み始めた。
自己解決したので彼女にとってこの話はもう終わりのようだ。

勝手に解決され唖然と彼は眺めた。
そしてもう一度言われた言葉を頭の中で思い返す。
どうも自分は昔よりも穏やかになったという。
我ながら人に対してきつくあたったことは滅多にないと自負しているのだが、 それでもより今のほうが丸くなったらしい。
確かに昔は特定の人と親しくすることはあまり無かったかもしれない。
誰かと仲が悪くなることも無かったが、特別仲良くなった覚えも無い。
誰にでも人当たりが良すぎるところを佐藤は逆に「尖っている」と感じたのだ。
それが数年経った今変わってきたということか。
同僚に親友がいるし、すこーし険呑な雰囲気になる先輩もいる。
そして何より一番大切な人が出来た。
佐藤は「経験を積んだおかげだ」と言ったが、それは少し違うように彼は思えた。

「どうしたの高木君、早く飲まないとぬるくなるわよ」

いつの間にか思考がここではないどこかへ飛び、微動だにしない高木に彼女が不思議そうに覗き込む。
はっとして現実に戻り、視線が交錯したその眼はとても綺麗で澄んでいて。
尚且つ強い意志を秘めた光だった。

――そうだ、この眼だ

自分を変えたのは仕事だけではなく、彼女のこの眼に焦がれる思いのおかげなんじゃないだろうか。
胸を暖かくさせる何かが、目の前の女性と出会って生まれたのだ。
そう思うと今いちぴんとこなかった自分の変化にも自覚できる。
まさか無意識の変化に他人の彼女が気付くとは驚きだったが。
それくらいは互いに近寄りあっていると考えて良いかも知れない。

そこまで考えると自然と笑みがこぼれた。


「ちょっとー、何笑ってんのよ」
「あ、すみませんなんでもないです。さあ早く飲んで寝ましょう。 明日朝から動けるように帰りそのまま僕んち泊まっているんですし」
「…まーそうね。やっと互いの非番の日が合ったんだし、久しぶりの遊園地を満喫したいな」
「平日だからきっと空いてますよ」

おきっぱなしになっていた缶を手にとって高木も栓を開ける。
それにあわせて再び佐藤が乾杯の仕草をした。


現在23時50分。
明日は近い。




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