君という光 ― 中略
朝早く、平次の家に顔を出しに行くと玄関でばったり彼と会った。
ジャケットにジーパン、足元にブーツそして手袋。
その格好はいかにもライダーっぽくて。
昨日オイル満タンにした二輪を家の駐車場から引っ張り出して、エンジンの点検を済ませたところらしい。
そこまで入念にするところを見るとどこか遠出でもするのだろうか。
そう聞くと彼は少し間を置いてから、「暇ならお前も来るか」と聞いてきた。
和葉は思わず肯定しかけたが、若干躊躇った。
平次はどこかへ行く時に彼女を誘う場合は事前に聞いてくることが多い。
このように偶然会ったついでに誘ってくることは滅多にないのだ。
何かの気まぐれか、それともまた別の思惑でもあるのか。
「遠いとこなん?」
「ああ。今から港行ってバイク乗せたまま九州行くんや」
「またなんかの事件の依頼?」
「まあ、そんなとこや。今日中に済ませられることやけど」
で、どうするんや?
平次にそう聞かれるとなぜか行くとしか言えなくなる。
悔しいが惚れた弱み、というやつかもしれない。
……絶対言わないことだが。
結局その後行くことにした和葉は父親に帰りは遅くなるとだけ伝え、平次とともに港へ向かった。
船で福岡に着いた平次と和葉はバイクで見知らぬ土地を走った。
彼は事前にこの辺の地理を覚えていたようで、地図もあまり見ず淡々と走り続ける。
どうやらこの福岡行きは急なものでなく前から計画されたものだったらしい。
彼女は行き先を聞いたが、はぐらかされるだけで答えてくれなかった。
しかし今日中に終わる用事だとは知っていたのであまり深く聞かないことにする。
バイクに乗り続けて数時間。
だんだん周りの風景に緑が増えてくる。
いや、建物が少なくなってきたと言ったほうが正しいかもしれない。
かなり遠いところまで行くものだと和葉は思う。
そして二回ほど休憩を取ったが、その間平次はいつもより口数が少ないと気付いた。
そんなに依頼内容が複雑だったのだろうかとも考えたが、どうもそんな感じではない。
「あとどんくらいー?」
風で後ろに声が飛ばされそうになりながら大きめの声で問いかけた。
「もう見えてきたで!あの屋敷や!」
平次が顔だけで方向を指す。
その先に見えたのは大きな洋風の屋敷だった。
田舎の中にひっそりと佇んでいる屋敷は遠目からしても少し寂れているようにも見える。
風に誘われて何かいい匂いがふわりと飛んできたのを鼻で感じた。
洋館の前に着くとそこには誰もいなかった。
全く人の気配がしない。
屋敷全体も遠目から見たときよりもずっと朽ち果てているようだった。
郵便受けには随分前のチラシが何枚か差し込んであり、大きな門には鍵がかかっていない。
だがその代わり、屋敷の周辺一帯にラベンダーが咲き乱れていた。
風に乗ってやってきた匂いはこれだったのだ。
手入れはされていないようだが、その分ラベンダーは自由に伸び伸びと生きているようにも見えた。
「ここに依頼人がいるん?」
あまりそんな気はしなかったが。
「……・ここやない。この屋敷の裏側に頼まれた場所があるんや」
そう言って彼はヘルメットをバイクにかけ、歩き始めた。
その手には港で買ったと思われる小さめの白い袋が携えてある。
彼女がトイレに行ってる間に購入したらしい。
何が入ってるのか聞いても「着いたらわかる」としか言ってくれなかったものだ。
屋敷の裏手に回ると細い小道があった。
平次はその道の存在を知っていたらしくそのまま迷わず進んでいく。
和葉もその後を着いていくとすぐに人工的に草木が刈られた小さな広場に出た。
そこにあったものは・・・
「お墓?」
十字架をかたどった洋式の白い墓だった。
立派で大きいものだ。
その墓前には周りにも生えているのに、ラベンダーの花が添えてある。
しかし彼は一瞥してそこも素通りし、更に奥のほうへと進んでいった。
もう奥に道は無い。
「ちょっと平次、どこまで行くん?そっち道ないやん」
「無くてもあるんや」
「え?」
草木を分けながら進む彼の後ろを、転ばないよう気をつけながら歩く。
数分後また何かが先に見えてきた。
先ほどのような広場は無い。
しかし白いものはあった。
それはとても小さいもので。
二度目の墓だった。
それもまた同じ洋式の。
その前でやっと平次は止まった。
和葉もそれに倣って後ろで止まる。
彼はしゃがみ墓の下方を見下ろした。
俯いた視線の先には、墓前に添えられた百合があった。
もうすっかり枯れ果てていたが。
それでも確かにそれは花だった。
その墓を目の前にして、これが目的だったのだと彼女は思った。
墓前にしゃがんだ彼は袋からあるものを取り出した。
中々教えてくれなかったそれは、目の前のものと同じく花であった。
しかしそれは百合とは違い、
「……まさか十字架やとは思わんかったなあ」
彼の出したものは仏花。
墓の主がキリシタンだとは思わなかったのだろう。
平次は苦笑したように見えた。
後ろからではっきりとはわからないが少し笑ったように感じる。
和葉も彼の後ろに近づき腰を降ろした。
墓にはローマ字で名前が彫ってあったが小さくて彼女の位置からは見えない。
「依頼はな、この墓に花を添えることやったんや」
平次がポツリと言った。
依頼に関して言うのはこれが初めてである。
事件ではなく献花。
誰もいない大きな屋敷。
そしてラベンダー。
この墓の周りにも咲くその花を見て、和葉ははっと気付いた。
「さっきのお屋敷って、ラベンダー屋敷密室殺人事件の・・・」
「そうや。あそこにおったお嬢様が自殺したんや」
ラベンダー屋敷密室殺人事件。
それはある未熟な青年が作り上げた架空の殺人。
そしてその架空の殺人の犯人とされたメイドの少女が首吊りをした事件でもある。
その事件の悲劇はそれで止まず、2年後再び連鎖が繰り返された。
自殺に追い込まれた少女の親友が、「殺人事件」を作り出した青年を殺害したのだ。
平次たちを巻き込んで。
和葉は大まかなことしか聞いていなかったが、あの事件が彼に何らかの影響を与えたことはわかっていた。
少女の親友は彼と同じ元「高校生探偵」だったから。
彼女が警察に自首する時一瞬平次のほうを見たのに気付いていた。
そして彼がそれに対して少しうなずいたことも。
「じゃあ今日の依頼人っていうんは・・・」
「そうや」
そんな。
和葉は息を呑んだ。
殺人犯の依頼だったからではない。
「彼女」からの依頼だったからだ。
目の前の墓は、全ての引き金となった「彼女」の親友だったメイドのもの。
彼は事件解決後、様々な犯人に呼ばれることがある。
留置所だったり刑務所だったり。
別に呼ばれれば誰のとこでも行くわけではない。
でもできるだけ会いに行っているように思える。
この前は大阪で連続殺人を起こした、顔馴染みだった元刑事のところにも行った。
彼女もそのときは一緒に行ったのだがその元刑事は彼にこう告げた。
「平次君には、何か人を惹きつけるもんがあるんやと思います。君に話をすると、どこか救われるような気がするんですわ」
だから色んな犯人に呼ばれるんでしょうな。
そう元刑事は言って笑った。
少し哀しそうな笑いだった。
犯罪者に好かれる自覚でもあったのだろうか、それに合わせて平次も苦笑していた。
反対に、彼と同じ立場でも東の高校生探偵は犯人に呼ばれることは滅多に無いらしい。
「俺はお前と違って、もう二度と会いたくないんじゃねえの?」
とは、その彼の弁。
確かに彼の犯人を追い詰める方法は平次と少し違うし、責め方も違う。
それは平次のほうが厳しい時もあるのだが、それでも犯罪者は彼のほうが惹き付けられるみたいだ。
では、その元高校生探偵も彼に惹きつけられたのだろうか。
和葉は胸の奥がちりちりと焼けるように感じた。
あの人は平次にとって他の犯罪者とは違う。
直感的にそれがわかっていた。
しゃがみこんでいる彼は包み紙をはがし仏花を墓前に添える。
そしてバッグから線香を取り出した。
「仏門で悪いけど、勘弁してな」と墓に向かって詫びを入れながら。
ライターで火をつけ線香に移す。
細長い煙がゆらゆらと空に向かって伸び始めた。
今日は風が少し強いため煙の昇りが早い。
「なあ平次」
「ん?」
彼はその煙を辿り空を見上げる。
「越水さんのこと・・・好きやった?」
聞いてからすぐにくだらない質問だと後悔した。
一番聞いてはいけないことだとはわかっていたのに。
それでも聞かずにはいられなかった。
<自首した彼女に手錠がかけられたときの、彼の無表情な顔が忘れられない。
「……アホか。そんなわけないやろう」
和葉の問いに平次は振り向かなかった。
「でも・・・」
彼は見上げた顔を墓前に戻す。
「惜しい人やと、思った」
「……そう」
惜しい人、という言葉にやたら哀しくなった。
嫉妬とかそんなものではない。
ただ平次にそう思われるほどの人が殺人を犯してしまったことが、哀しくて仕方なかった。
「あの人が犯人やとわかったとき、残念に思うた。なんであの人なんやろうって」
――まあ、殺人に納得の行くもんなんてないけどな。
そこで彼は言葉を切り墓前に向かって手を合わせた。
和葉も一緒に手を合わせる。
目を閉じるとラベンダーの香りがより一層感じられた。
ざわざわと、風の音とともに。
1分間ほどの無言の後、2人同時に顔を上げた。
彼は再び口を開く。
「でもその原因は、他人事やない。殺されたアイツがしたことは俺もこれから先したかもしれんことや」
そんなことは絶対無い。
和葉はそう思ったが。
「あの人のやったことは犯罪や。それを罰することは当たり前のことやし、それについてはしょうがないと思てる。
……でも、あんなことを二度と繰り返さないようにはしようと思ったんや」
平次がすくっと立ち上がった。
「あんたやあんたの親友のような人、もう絶対出さんようにするしな」
墓前に対して言った言葉は彼自身の誓いのようにも思えた。
その後2人はまた来た道を戻りバイクのところまで歩いた。
そして近くの教会に立ち寄った。
止めたバイクのところで待っていたので何を神父と話したのかは聞こえなかったが、彼が白い封筒を渡したのは見えた。
あの墓の世話に関することだったかもしれない。
ふと側のバイクに視線を下ろすと、ハンドルにかけてあった彼の
小さな袋にはいつの間に摘んだのか、ラベンダーが一輪入っていた。
ちょん、と袋から出ている部分の花びらをつつく。
綺麗で鮮やかな色をしていた。
この地になぜ自分を誘ったのか。
和葉にはわからない。
ただ平次のあの誓いだけは決して忘れぬようにしようと心に堅く誓う。
バイクで再び港へ向かう間も、ラベンダーの香りが2人の周りで随分長く漂っているようだった。
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