「犯人は、あなたですね」 町の雑踏とは一線を画した、クラシックの流れる喫茶店の片隅のボックス席で新一は告げる。 殺人のトリックと状況証拠を突きつけた上で。 痛いほど落ち着いた空気の中言われた相手の男は苦笑した。 「それはあなたの推理ですか?」 「そうですね。厳密に言えば彼と電話で話し合った結果あなただと断定したわけですが」 一昨日大阪で起こった殺人事件。 殺害されたのは大学院教授。 容疑者の筆頭候補はその教授のゼミ生である女だった。 一方、同じくその教授のゼミ生の青年が東京に来たのは正午過ぎ。 そして喫茶店に入り何か飲み物でも飲もうとしたところ、新一が来たのだ。 鋭い視線をこちらに向けて。 「しかし警察は僕を容疑者にも挙げてませんでしたよね」 「……確かにあなたにはあの教授を殺す理由が無かった。 でも状況があなたを犯人だと言っていると服部が俺に伝えてきました。 そして東京にあなたが向かっているとも」 「ああ、あの少年ですか。じっくり現場を見ていたから何かあるなとは思ったけど」 青年は他人事のように呟くと目の前に置かれた紅茶を一口飲む。 「では君はどうして僕があの人を殺したと思いますか?」 「……被害者があの容疑者の女性と付き合っていたことはわかっています。 そしてその女性は以前あなたと付き合っていた」 普通ならそこで彼女を「取られた」とでも思った青年が教授を殺したと考えるだろう。 しかし、 「あなたと女性の間に揉め事のようなものは無く、お互いがすんなりと了承した上で別れた。 しかも別れたのは1年以上も前のことだ。これは他のゼミ生が証言しています」 別れて1年以上経ち、未練も何も無い元恋人の相手を恨む理由がないのだ。 だから最初から警察も彼を容疑者から外していた。 「それに、浮気をされた女性の場合男を恨むのではなく取った女を恨み、 男の場合は浮気をした女を恨むといいます。これはただの確立の問題ですが、 それも踏まえあなたが教授を殺す動機がわからない」 男女の独占欲の行き先。 新一にはそれがまだいまいち理解しきれないところであるが、以前母親がそう言っていた。 青年の返事を待つように彼は後ろの背もたれに体を預ける。 そこから暫く沈黙が流れた。 クラシックだけが周りを包み込む。 そしてやっと口を開いたのは、持っていたグラスをテーブルに置いた青年で。 「では一つ教えてあげよう。君が言ったとおり彼女とは完全に縁が切れている。 ただの友人だ。……それに、男は浮気をした相手を恨むという説は当たっているよ」 カラン、と紅茶の中の氷が音を立てて崩れる。 新一の彼を見る目が一瞬揺らいだが次に息を吐いた。 やられた、といった感じだ。 「そうでしたか。……つまり、彼女と別れた後あなたは――」 「まあその辺にしておこうじゃないか。僕は出頭しても絶対に動機は言わない」 青年の話し方が少し変わった。 恐らくこれが本来の姿なのだろう。 「ではなぜ僕には教えてくれたのですか?」 「それは野暮というものだよ東の名探偵君。ああ、しかし西の彼でも教えたかもね。 そういえばここに来るんだっけ? 彼」 確かに西の名探偵は新一に彼を捕まえるよう頼んだ後、すぐこちらに向かっているはずだ。 だが新一が彼の言葉に眉をしかめる。 「今は流しますけど、そういう冗談をあいつの前でも言えば僕が怒りますよ」 「それは失礼」 静かだが警告じみた言葉に青年は肩をすくめた。 新一もため息をつき、席と隣接した大きな窓ガラスから外を垣間見る。 まだ待ち人は来ないようだ。 そして再び顔の向きを戻しまだ残っている疑問を投げかける。 「そういえば、あなたはなぜ東京に来たのですか?」 西の彼は青年が逃亡し自殺するのではと危ぶみ新一に捜索を頼んだのだが。 その予想に反して新一がここに来た時の青年を見る限りそうとは思えなかった。 「さあ……なぜだろう? 僕はあの人に出会ってから追いかけてばかりいたからね。 たまには追いかけられたかったのかもしれない」 そう言って寂しそうな顔つきをする。 「だから、ここに来た事もあの人を殺したことも後悔はしていない。 そして君には話したけど法廷で動機を明らかするつもりもない」 動機を明かしたほうが刑は軽くなるはずだが。 新一は黙って彼の紡ぐ言葉を受け入れる。 「僕にとってこの殺しは完全犯罪なんだよ」 そこで青年はもう一度グラスを手に取り口に含んだ。 まだ新一は何も言わない。 いや、言う気がしなかったのだ。 彼がそれで満足しているならそれでもいいかと。 動機を明らかにしないことは被害者側の親族にとっては苦痛かもしれないが、 恐らくあの教授にも非はあったのではないだろうか。 それで殺しが肯定されるわけではないけれど、うっすらと動機を話した目の前の男を見ると そう思わざるを得なかった。加害者なのに被害者のような傷ついた目をしているのだから。 幾分哀れんだ視線を青年に送る。 視線の先で彼はじっとグラスの中の氷を見つめていた。 氷がとけて紅茶の色と混じっていくのを。 トリックを暴いても、動機を知っても、彼は完全犯罪だと言う。 ――一体何がこの犯罪を完全にしたというのだ 真実を解き明かしても尚、完全な犯罪に新一は頭を縛られる。 それから西の彼がパトカーのサイレンと共に、息を切らして訪れるのはもうすぐだった。