凍える飾り
 とある財閥の長が執筆した本の出版記念パーティー。  ホテルの会場を借りた比較的小さな規模だったが、出席者達は上流の中でも更に上を極めた者達ばかりである。  窓から見える夜景以上の煌びやかさが会場を彩る。 ――何度見ても、あまり綺麗だとは思えないが……    しかしそんな無数の光を端から眺め、内心呟く少年の姿が会場の片隅に一つ。  立食で皆々が決まりきったような社交を繰り広げている中、白馬探は一人気だるく壁に背をもたれさせた。  周囲には気付かれない程度にため息をついたが、目の前に橙色の世界が突然広がった。 「一杯どう?アルコールじゃなくてオレンジジュースだけど」  そう言ってにっこりと笑いかけたのは同い年くらいの茶髪の少女。  朱色のイブニングドレスを着こなし、右手と左手にグラスを一個ずつ持っていた。  右手のグラスは白馬の目の前に差し出されている。  突然の声かけに白馬は一瞬目を丸くしたが、すぐにいつもの爽やかな笑みを浮かべて手を伸ばす。 「ありがとうございます。失礼ですが貴女は?」 「私? 私は鈴木園子よ。このパーティー、若い子いないからつまらなくって。そして今やっと同い年くらいの貴方を見つけたから ナンパしちゃった」  舌を出して茶目っ気たっぷりに彼女は笑う。  そして自然と彼の左隣に立ち、同じく壁に背をもたれさせた。  対する白馬は「鈴木」という名に思い当たる節があった。  あの鈴木財閥のお嬢様か、と。  名家の割には案外くだけた話し方をする女性だと感じる。 「遅れましたが、僕は白馬探と申します。以後お見知りおきを」 「へー、あの白馬さんのところの人だったのね。こちらこそよろしく。じゃ、お互い知り合った日を記念して……」  すっと園子がグラスを傾ける。  意図をすぐさま理解した白馬が、慣れた手つきでグラスを園子のに近づけた。  ちん、と乾いた静かな音が鳴った。  二人ともそのままオレンジ色のジュースに口をつける。  一口飲んだだけですぐに離したのは、マナーの他に互いにもっと話してみたいと言う気持ちがあったからだろう。 「今日平日だけど、白馬君学校は?」 「僕はイギリスの学校に行ってるんですよ。今日は帰国したついでにきたので、平日とかは関係ないですね。 貴女こそ、明日も学校あるんじゃないですか」 「明日は学校の創立記念日なのよ」 「ああ、なるほど」  今日も明日も平日のため、このパーティーに学生は園子と白馬と、他に数名いるかいないかなのである。 「なんか、白馬君つまらなさそうだったわよね。こんなパーティーもう飽きた?」  白馬家の人間であれば何回も行ってるだろうから、そろそろ飽きてくるのではと園子は問う。  普段なら、白馬もそこで肯定して次の話題に移るところだ。  少し苦味の入った笑いを見せて、軽く頷いて。  だが今日は何故か流せなかった。  先ほど名乗った時、「白馬」の名を出しても媚びた目や好奇心の篭った接し方をせず、あっさりとグラスを交わした園子になら、 本当のことを言っても良いかもしれないと思ったのだ。 「飽きたといいますか……重い、ですね」 「重い?」  風邪をこじらせた母に代わって出席したものの、家同士が知り合いになる人間に挨拶すると「ああ、あの白馬警視総監の……」としか 返って来ない。  どこへ行っても何をしても父の名前が、家の名前が、付きまとう。  高校生にもなり自立心が芽生えてくると、いい加減それも荷物になる。  重い重い荷物だ。  肩にどっしりと乗った目に見えない塊にうんざりして、先ほど壁にもたれていたのだ。 「貴女も感じることは無いのですか? 自分の家が、重いと」  鈴木財閥のご息女なら、自分と同じかそれ以上の荷物があるはずだ。  そう白馬は思い、聞き返す。  が、 「無いわね」  はっきりと、あっけらかんと園子は言い切った。 「よく人から同じようなこと聞かれるけど、私あまりそういうの感じないのよ」  もう一口、ジュースを口に運ぶ。   中身が減るごとに氷が中で回る。  半分ほど飲み干してから、やっと園子はグラスを降ろした。  次に右上にある長身の白馬を少し見上げる。  「あのね白馬君。”白馬家”とか”鈴木家”なんて、私達にとってはただのアクセサリーに過ぎないわ。 一生取れない飾りかもしれないけど、私は私よ。鈴木園子っていう人間よ」  そこまで言って、彼女はグラスの中の氷を口に入れてがりっと噛んだ。  お嬢様らしくない行動。  でもそれはわざとやっているようにも見えた。  お嬢様でもこんなことは出来るのだと。  しかし、白馬はそんな彼女が逆に気高く思えた。  大きな宝石の入った飾りを付けこなす、貴人にだ。  同時に自分の考えていることがとてもバカらしく感じてくる。 「アクセサリーなら軽そうですね」 「そうねえ。でも、どうせつけるなら綺麗なほうが良いと思うわ」 「それはそうだ」    白馬はシャンデリアの輝く天井を見上げて少しだけ笑った。  そして彼女と同じようにジュースを飲み干し、氷を口の中に入れる。  彼にしては相当珍しい行動だったが、園子は面白そうにそれを眺めた。  背の高さと会話の端々から垣間見えるある種の誇り高さが、海の向こう側にいる「あの人」に似ているようだったからだ。    そんな園子の事情などは当然知らない白馬は、氷の塊を思い切り砕いてみる。  心地よい振動が、口の中に広がった。