まずは髪を柘植の櫛でとかす。 そして後頭部まで一気に上げる。 口にくわえてたリボンを右手で取って一重、二重にくるくる縛る。 そのまま一定の位置に固定された髪を、残ったリボンの長さで蝶々結び。 「……上手いことできるもんやなあ」 「そう?」 和葉のポニーテールが出来るまでを眺めながら、しみじみと平次が呟く。 昔からこの髪型をメインにしていた彼女は、流れるような仕草で、後れ毛をピンで留めている。 ここは服部家の居間。 夕飯にてっちりを作るということで、和葉はお呼ばれされていた。 その夕飯が出来上がるまでの間に、合気道部の練習のせいで少し崩れた髪形を直していたのだ。 何もすることが無い平次は、その様子を見ていたのだが。 鏡も無しに、目が後ろにでもあるかのような器用さで一つの作品が出来上がるその様は、 男の平次にとって真新しい世界だった。 「もうこの髪型とも十数年の付き合いやしなあ。そら慣れるて」 「そういうもんか」 「そういうもんや。平次のおばちゃんかてあの綺麗な髪形毎日素早く作ってるやろ?」 最後のピンをうなじの辺りに、すっと差し入れる。 いつもの和葉の出来上がりだ。 「長い髪を、ようそんなに器用に扱えるもんやな。他の事やとどんくさいのに」 「最後の言葉はよ・け・い!」 じろりとにらんだ彼女を、平次は乾いた笑いで受け流す。 机についてた肘を離して、胡坐をかく膝に手を置いた。 そして反対の手にある煎餅を、ぽりっと歯で噛み砕いた。 彼女も頬を膨らましながらも、前に置かれた茶に手を伸ばす。 ずずっと煎茶を飲むごとに、頭のてっぺんに「くっついた」ポニーテールが静かに揺れた。 その動く物体を、彼はぼんやりと眺める。 彼女のそれは頭とつながってると言うより、そこの部分だけ違う物がくっついてる感じだ。 以前「ホンマに繋がってるんやろか」と思って引っ張ったら、思い切り頬をしばかれたことを思い出す。 周りの人間に言わせれば「お前はアホか」な行動である。 そんなことを彼が考えてる間に彼女がことり、と茶碗を茶たくに戻した。 するとまたそれが揺れる。 今度は庭から入り込んできたそよ風も伴ったため、さらりと左に流れた。 その動きに、いつかの記憶が重なった。 「他の……」 「ん、何?」 「他の、髪型はせえへんのか?」 「へ?」 「……あ」 ぼんやりしていたら、思ってもみなかった言葉が勝手に口から出て自分でも驚く。 左右に静かに揺れる髪を見ている内に、催眠術にでもかかったかのような。 一方の和葉は突然の質問に一瞬怪訝そうな顔をしたが、 次に「他の髪型なあ〜……」と顎に手をあて考え込んだ。 「別にせえへんわけやないけど、何となくこれが一番落ち着くねん。 それとも平次は他にやってほしい髪型でもあるんか?」 机を挟んで向かい側に正座する和葉は、少し目を輝かせて平次に問いかける。 いつもの彼なら言わないことでも、今なら言ってくれそうな気がしたからだ。 姿格好のことで彼が言及することは、過去にあまり無かった。 けれども、逆に聞き返された本人は無意識の行動だったので、ぐっと詰まる。 一瞬目視線が泳ぐ。 そして、先ほど重なった記憶がすぐに思い返された。 春風とともに揺れる艶やかな着物。 桜の下で鞠をつく少女。 その少女がしていた髪型は――… 「二つくくり、とか」 「二つくくり? ツインテールか?」 何故かと伺うように彼女が目を向ければ、「何となくや!」と、何故か怒ったように平次は顔をそらした。 聞かれても困るのだ。 ただ、彼女の揺れる髪を見ていたら、あの光景が思い出されたのだから。 そしていつの間にか、自分でも知らないうちに聞いてしまっただけなのだから。 自分でもらしくないと思うあやふやな言動に、彼は戸惑った。 眉を顰めてこっちを見てくる和葉の視線が、らしくない自分をより恥かしくさせてしまう。 その状況に耐え切れず、もういいと彼が言おうとしたその時。 「そんなら、来週ツインテールしてくるわ!」 「え?」 「来週の日曜、おばちゃんの知り合いの家のお茶会ウチら行くやろ? その時着物着るさかい、 たまには髪型も変えてみるわ」 どんな感じになるやろねー、と彼女は笑いかけた。 そんな笑顔に平次は目を大きく開いた後、平然を装って「さよか」とだけ返す。 リクエストに応えたにも関わらず素っ気無い返事だったが、和葉は怒らなかった。 なぜなら彼の顔はどこか嬉しそうだったからだ。 「もしかして平次ってツインが好きやったんやろか」と、少々外れたことを考えながら、 来週の着物と髪飾りについてデザインを練った。 そして件の日曜日の茶会において。 平次が和葉の家に迎えに行くと、彼女は普段よりしっとりとした雰囲気をまとって、玄関から出てきた。 「お待たせ」 「おう」 二人で、静華が待つタクシーまで歩く。 和葉は予告どおり、千代紙のような和風の模様が描かれたリボンで、髪を二つに縛っていた。 リクエストした本人の平次が、それについて言及することは無く。 先日と同じような理由なのか、彼女もまた、そんな彼の態度に機嫌を損ねることはなかった。 沈黙を保つ彼らの代わりに、ツインテールはさらさら揺れる。 ちなみに着物は、薄紅色の桜が踊った、鮮やかな色合いだ。 髪型以外では何も話し合うことは無かったのに、その姿は平次の目を惹きつけた。 懐かしいとか、美しいとか、そういう類の魅力ではない。 それはもっと、手が届きそうで届かない、花のごとく。 尊いものを見るかのように、彼は目を細めた。 「かなわんな」 その言葉の意味を和葉が知るのは、もう少し先のことであった。