振り上げた拳はどこへ行く

真冬のある日曜日。
昼過ぎに平次の家に遊びに行くと、彼が庭でぼんやりと縁側に座っていた。
視線の先にあるのは愛車のバイク。


「どうしたん?ぼーっとして」
「…なんや、和葉か」


いつもなら声をかけなくてもすぐ気がつくのに、今回はそこでやっと存在に気付いた。
不審に思いながらもバイクに近づく。
よくよく見てみると、後方の車輪の辺りが広い範囲にわたって傷がついていた。
かすり傷だが、ここまで幅が広いと個人で直しにくいはず。


「もしかしてバイクで平次こけたん!?」


広範囲の傷と今の彼の元気の無さを考えて至った原因としてはそれが一番妥当だ。
しかし彼は彼女の問いを一蹴する。


「アホか。俺がそないどんくさいことするかいな。バイクがこかされただけや」
「こかされたって…誰に?」
「その辺の子供や。くど…やなくて、コナンくらいのボウズが蹴ったボールが公園入り口に停めてあった俺のバイクにぶつかったんや」
「……それはまた災難やったなあ」


恐らく公園で遊んでいた小学生のサッカーボールが、運悪く入り口付近に停めたバイクに当たって盛大に倒してしまったのだろう。
だが愛車といえども、子供に怒鳴りつけるほど平次は心が狭くない。
それくらいの度量はある。


「直せるん?」
「ここまで傷ついたら自分では無理やな。サイドミラーもちょお曲がっとるし修理に出さんと」


また小遣い減るわ、と彼はため息をついた。
下手すれば2桁の修理費が要るかもしれないのだ。
普通の高校生に比べれば貯金はあるとはいえそれはきつい。


「お祖父さんに頼んだら?」
「いや、このバイクその爺ちゃんに買うてもろたもんやし言いにくいわ」
「そっか…」
「このバイクにはいつも悪いことしてるわ。ホンマ頭が上がらん」


お金が要ることより、傷をつけた罪悪感のほうが勝っているに違いない。
彼がいつもこのバイクを念入りに磨いていることを彼女は知っている。


「でも、ボールが当たったことに関してはそこまで腹立ってなさそうやけど?」
「そないなことない」


平次は即答するが顔はこちらを見ない。意地を張っている証拠だ。
ボールは当たらなかったらそのまま公園の外に転がっていたことだろう。
そうすれば蹴った子供が道路に出るのは当然のことで。
それが入り口付近にあった彼のバイクのおかげで道路まで出ることはなかったのだ。
子供が事故に遭う可能性は無くなったということである。

だから平次はバイクに当たったことをそこまで怒っていない。
むしろ当たって良かったと思ってる。
でもバイクを傷つけた事実はどうにもならない。
子供が助かった幸運とバイクの不運を同時に味わってしまい、どうにもならない感情を持て余しているのだ。
そしてそんな気持ちを悟られまいと彼は意地を張っていた。


「ホンマ、不器用やなアンタも」


彼女は苦笑してバイクの側から縁側に座る彼の隣へ移る。
全て見通されていることをわかって気まずそうに平次はぷいと顔をそらした。


「私も少しくらい修理費出してあげるわ。いつも乗せてもろてる乗車賃がわりや」
「別に俺の意思でお前を乗せてるんやし、いらん。自分でどうにかするわ」


言外に自分が乗せたいから乗せていると言っているようのものだ。
彼はそれを自覚して言っているのだろうか。


――多分気付いてへんのやろうなあ


無自覚での発言は彼女の心をかき乱す。
少し顔が赤くなるのを感じながら、座っている彼の頭をぽんぽんと叩いた。


まるで姉がすねた弟を宥めるように。




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