蹴っ飛ばせ!

どうもありがとうございました、という言葉と共に45度お辞儀をする。
相手の女性も隣の男性に肩を抱えられながら少しだけ頭を下げる。
遠目からだったので女性の顔は見えなかったが、泣いていたように思えた。
警視庁の入り口付近で男女を見送った高木は捜査一課へ戻るべく踵を返すと、目の前に由美がいたので驚く。

 
「何かの事情聴取だったの?」
「え、ええ。先週世田谷で起こった遺産相続殺人の関係者ですよ」
「あー・・・・・・、あのドロドロ愛憎劇の果てに起こった事件ね」


どこぞのプライムタイムのドラマでやりそうな莫大な遺産を巡る殺人事件は、ワイドショー好きな由美もしっかり覚えている。
確か犯人は遺産を遺した故人の弟で、被害者が故人の愛人だったはず。
ということは年齢的に見て先ほどの男女のどちらかが故人の子供なのだろう。
 

「美和子から聞いたけど、あれ解決後も結構ごたごたしたんでしょ」
「・・・・・・そうですね。遺産を遺されたお祖父さんが急死だったせいで、遺書を書いてなかったのが全ての原因のようなんで」


廊下を歩きながら神妙な顔つきで高木が答える。
疲れが見える表情から、先ほどの事情聴取でもその遺産相続の件であの男女から色々愚痴のようなものを聞かされたのかもしれない。
それでも悲しそうな顔はしなかった。
彼のこういったへとへとに疲れた顔やヘラヘラ笑った顔はよく見る。
仕事でもプライベートでも。
比較的背の高い彼を横目で見上げながら由美はふとあることに気がつく。


「そういえば高木君て泣かないよね」
「は?」
「いつもヘラヘラしててさ。疲れないの?」
「と言われましても・・・・・・」


突然聞かれた彼は困ったようにハハと笑う。
この顔もまたよく見る表情だ。


「美和子の前とかでも泣かないわけ?」


恋人の前でくらい、いつもとは違った自分を見せてもおかしくないと思うのだが。
しかし彼は予想に反して真面目に返す。


「それは絶対に無いです」
「え、なんで?」
「だって僕が弱いところ見せたら佐藤さんはどこで泣いたらいいんですか」


思いのほか「男」っぽい答えに一瞬言葉に詰まる。
 

「いつも僕は佐藤さんには迷惑をかけてるんで、あの人が弱った時くらいはいつでも受け止められるようにしたいんです」


だから、自分が泣くところは見せられない。
 
これは高木の一種の信念なのか、自分自身に言い聞かせるように静かに、だが力強く言い足した。
一方そんな意外な返事に彼女は呆気にとられる。 
そして大げさにため息を一つついた。


「……あーあ、高木君に惚気られる日が来るなんて思ってもみなかったわ」
「の、惚気てなんかいませんよ!」


人が真面目に答えたのに酷いですよと彼は慌てふためく。
すぐ前にあんな男らしい信念を述べた人物と同じ人物とは思えない。


「はいはい。ご馳走様でした!……でもあんたわたし達の前でも泣かないし、美和子の前でも泣かないならどこで泣くっていうのよ。まさか一生そのヘラヘラを 続けるわけじゃないでしょ?」


足を止め高木の前に立ちふさがってびしっと人差し指を彼の目の前に突き出した。
指された彼は思わず後ずさりするが、次にやはりまた困ったような顔をする。


「うーん……別に絶対に人前で泣かないと決めでもいませんけど」
「一人でも泣くこと無いの?」
「そういえば無いような…ただ機会が無いだけですよ。そうそう泣く場面っていうのも無いじゃないですか。またいつか機会がありますよ」
「あーなんかそういう煮え切らない答えが嫌だわ!泣かないと決めたわけでもないし、一人でも泣かないし、あんたどこでなら泣いていいわけ?」

 
周りにも人がいるにも関わらずじれったそうに頭を掻く。
一見よくわからない理屈で問い詰められた高木は、最後の台詞に何かを気付いたような素振りを見せた。


「あ、でも……」
「何?」

「心の中で、泣いていることはありますよ」


彼女の頭を掻き毟る手が止まる。


「僕だって悲しいときは悲しいと思いますから。それが表に出ないだけじゃないですかね」

 
そう言って彼がほんわかと笑う。
そして一瞬動きが止まっていた彼女が口を開こうとした時だった。


「おい高木!2丁目で事件があったから初動捜査行って来い!」
「あ、はい!」


先輩刑事から彼に声がかかった。
すぐに振り向いて威勢の良い返事を返すとそのまま由美に会釈をする。


「じゃあ由美さん、話の途中で悪いんですけど」
「あ、ああ、うん。がんばって」


行ってきますと言って彼は急いで捜査一課へ向かう。
呆然と由美は彼の背中を見送る。


「……だったら私の前でくらい泣きなさいよ」

 
恋人の前で泣かないなら、心の中で泣くくらいなら。


佐藤と付き合い始めてからいつも綺麗になった彼の背中のスーツを眺めながら一人呟く。
自分でもよくわからない苛立ちと考えに戸惑いを覚える。


なんだか無性にその彼の背中を蹴りたくなった。





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