のぞまれた死
もうあかんな。  平次は駆けつけて見た瞬間でわかる。即死だと。  和葉の合気道の試合を見に、バイクで行く途中だったのだが、歩道橋の下を通り過ぎようとする時に 真上から人が降って来た。  幸い自分には当たらなかったが、飛び降りた男は頭を強く打って死んだようだ。  慌ててバイクを止めてそれを確認した後、平次は歩道橋の階段を走って上まで行く。  誰も居ない。あるのは古びた革靴のみ。  ここで靴を脱いで飛び降り自殺したのだろうと彼は判断した。  その後遺体の所まで戻り、馴れた手つきで携帯で警察に連絡をする。  そして後ろからやってくる車を手で制して、「人が前で死んでる」とだけ伝え止まるように言う。 ついでにまた後ろから車が来たら停止させて欲しいと頼む。  教えられた車の運転手はびっくりした様子だったが、目の前の少年が有名な高校生探偵だということに 気付いて大人しく従った。  遺体の第一発見者としてするべきことは大方した平次は、次にしゃがんで遺体の確認を再度する。  年齢は五十歳代か。頭を打ったせいではない苦渋の皺が刻まれているような気がした。  こんな晴天の日にもったいないことをするものだ、とため息をついて注意深く観察するとポケットに目が留まる。  白い紙が、入っている。ドライブ用の手袋をつけて、慎重にそれを抜き取った。  四つ折りにされた便箋をぱらりと開けた。  細く歪んだ字で死んだ理由について短く書いてある。不安定な筆記なのは、死を覚悟したゆえか。  『私の保険金で家族が生き延びてくれれば』  この一文が、飛び降りた動機を物語っていた。  借金を苦にした自殺。  よくある理由だが、だからこそとても大きな問題でもある。   ――自殺して解決出来る問題ってどうやろうな。生き延びたほうが金もらえる制度があったらええのに。 ――……皆そう思うけど、出来ん理由が一杯あるんや。 ――わかっとる。ただ言うてみただけや。  以前この目の前の自殺と同じようなニュースを見てた時の、父との会話を思い出す。  理不尽な世の中だと思ったのと同時に、理不尽だからこそこの世は成り立っているのだろうとも感じたのを覚えている。  この男の死で救われた家族はきっと泣くだろう。  文字通り、死ぬ気で守りたいほど愛されていた家族だ。とても悲しむに違いない。   借金が無くなるのと引き換えに、永遠の哀を手に入れてしまったのだから。  それでもこの自殺は正しかったのか。  平次は考える。  命には限りがあるからがんばれる、と言ったのは自分自身。  では、その限りを本人で決めてしまうことは良いのかどうか。  自分の倍以上生きている母は「自殺も立派な殺人」だと断罪していたが。  母の言うとおり、自殺はいけないことだ。良いか悪いかで表すなら、悪いことだ。それはわかる。だが―― 「理解は出来る、なあ……」  頭によぎった考えがそのまま口に出た。  理解、と言うには少し語弊があるかもしれないが、確かにそれに近いものが平次にはあった。  元々彼は、犯罪者の感情に一種の理解を示す人間ではある。  犯罪を歓迎するというわけでは勿論ない。  ただ、罪を犯した者達の、罪を犯すまでに至った動機に「人が人であるが故の、避けられない感情」が 影響しているのだと感じているのだ。   今回も、家族を救いたいという彼の人間らしい欲望が望んだ自殺だったのだと。  その欲望の存在を、平次は理解出来てしまう。    「き、君。携帯鳴ったけどええんか?」 「え?」  頭が現実からどこか遠くへ行っていた彼に、先ほど車を止めた男が恐る恐るやってきて言った。  ジャケットのポケットから携帯を取り出すと、確かにメール着信のランプが点滅している。  考え込んで気付かなかったらしい。  おおきにと礼を言って待ち受け画面を開けると、「工藤」の二文字。    そういえばこの工藤も数週間前、学校で飛び降り自殺を目撃したと聞いた。  自分に負けず劣らずの死神ぶりを発揮する工藤は、その時どう思っただろう。  死んだ理由は流石に違うだろうが、自殺したことには変わりない。  考え込んだついでに、そんなことにも思いを馳せる。  今回に限らず、今まで色んな事件を共有して、共に真相を暴いてきた彼。  謎を解き明かすという、同じ行為を飽きもせず続けてきた彼。  あまりにも真っ直ぐに、正義を信じてきた彼。    その彼に、「罪を犯す欲望の存在」を言えば。  彼は肯定するか否定するか。  いや、それとも。 「……多分、わからんやろうなあ。工藤には」     遺体にさんさんと降り注ぐ陽光の先を見上げて、平次は呟いた。  その存在を理解する自分は人間らしいかもしれないし、らしくないかもしれない。 だが少なくとも、わからないであろう工藤のほうがはるかにマシな人間だと思いながら。