昴
猫を飼う事になった。
とは言っても、ペットショップで購入したわけではない。
捕まった加害者の男性が飼っていた猫が、なぜか平次に懐いて離れなくなってしまったのだ。
茶と黒のトラジマと白い毛の部分が合わさったトラ猫のメスである。
飼い主が医師で、上質な環境で育ったらしく中々品のある気配を持っている。
本当なら自分の足からひっぺはがして警察に預けるつもりだった。
だが、その猫が事件の証拠を見つけたことを知り、興味を持った平次はそれを連れて帰ることにした。
「昴(すばる)、飯やぞ」
元の飼い主であった加害者が名付けた名前でそのまま呼ぶ。
メス猫にしては少し勇ましそうな名前だが、五月生まれだからそう名付けられたらしい。
部屋の隅で丸まっていた、その五月生まれの品ある”彼女”はとことこと、平次の置いた皿のところまでやってくる。
実はこうやって昴が大人しく寄って来る人物は限られていた。
平次と、彼に似ている母親の静華。
この二人にだけ自ら近づいて足元に頬を摺り寄せることがよくあった。
「ホンマ平次が好きやねんなあ、この子」
と、少し悔しそうに和葉は以前、自分にちっとも寄って来ない昴を遠目に述べている。
平次はその時元飼い主の顔を思い浮かべ、「そういやあの男も俺とおんなじように結構目鼻がくっきりとした顔立ちやったな」と納得したものだ。
昴が服部家に来てから一ヶ月ほどたったある日。
大阪郊外の某倉庫で集団自殺が行われた。
十畳ほどの倉庫の中で五人の男女が睡眠薬を飲み練炭自殺を図ったのである。
ネットで自殺志望者を募り一緒に死んだらしい。
発見者の男の悲鳴を偶然聞いた平次は、すぐさま駆けつけた。
そして現場を見て彼は驚く。
遺体ではなく、その近くにいた昴にだ。
何でそんなところにいるんだと聞いても答えがわかるはずもない。
ただ昴は遺体を見て、次に平次を見て、ふいと踵を返し去っていく。
数時間後家に戻ると、ちゃんと昴は帰ってきていた。
どこかで水を浴びてきたのか、さっぱりとした毛並みで平次を迎えた。
平次が事件現場に駆けつけ、なぜかその場にいる昴に会う。
昴は彼がやって来たのを見ると、家に帰った。
血なまぐさい現場にいたことを汚らわしいと思うかのように、どこかで水を浴びたであろう姿で、飼い主を玄関で出迎える。
こんなことが数回続いた。
流石に妙だと思った彼は、元飼い主の加害者のいる留置所まで行った。
「あの猫は一体何だ」と聞くために。
聞かれた男はにやりとしてガラス越しにこう答えた。
「あいつは、飼い主が本当にしたいことをするんや」
俺が飼っていた時は、俺が殺したあの女の手首に噛み付いたことがあったな、と付け加えた。
事件現場に行って何もせず、水を浴びてから家に帰る。
遺体は見ても、推理はしない。
現場は見たいが、汚らわしい。
「……事件を歓迎して、拒否もしてるんか?」
留置所から帰る道、平次は自問したがわからなかった。
それから数週間後。
今度は女のバラバラ遺体の一部の捜索をしていた。
警察が捜していたが、頭部だけが見つかっていなかったのだ。
平次も自主的に捜査に乗り出した。
今まで見つかった複数の体の部分の発見場所から推理して、とある川べりの草むらの中で汗まみれになりながら探す。
暫くして、川淵ぎりぎりのところで黒いビニール袋に包まれていた女の頭部をついに発見した。
そこには、昴もいた。
「昴……」
平次がぽつりと呟くと、”彼女”はその頭部を後ろ足で蹴ってどぽんと川に落としてしまった。
人の頭が、長い髪の毛を水面に浮かべ下流へゆっくりと流されていく。
異様な光景に愕然として昴を見た。
彼女はにゃあと鳴いて川に飛び込んだ。
そしてすぐさま出てきて体をぶるりとさせ、艶やかな毛並みを見せ付けた。
いつもここで体を洗って帰宅していたのだろう。
汚れを落とし、日光できらきら光る水滴を背に乗せしゃんと立つ。
次にもう一度平次に向かって昴は鳴き、彼の横を通り過ぎていった。
恐らく家に帰るのだ。
去る彼女を一瞥だけした平次は、追いかける気がないのか、遠のいてゆく頭をぼんやりと眺める。
昴にせっかく見つけたものを蹴落とされたが、不思議と腹立たしさは無かった。
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