月かざし
 夕食も終わり、皆でテレビゲームを楽しんでいる一方で哀はリビングから見える大きな庭に人知れず出た。  閑静な高級住宅街に、鈴虫が流水のようなたおやかさで音を奏でる初夏の空。  満月に雲がかかってうすぼんやりとした光を放っている。  これくらいの雲行きなら明日も晴れだろうと見上げた視線を元に戻し、庭の端のほうへ歩いていった。  サンダルに素足を突っ込んだため、少し伸びきった雑草がちくちくと当たってかゆい。  自然と歩幅が大きくなるのを感じながら進んだ先にあったのは木の板がてっぺんに  差し込んである小さく盛り上がった土。  『カブトムシさんのお墓』  板には子供のつたない字でそう書いてある。  歩美の字だ。  以前とある村の神社で何匹かのカブトムシを少年探偵団の皆で捕まえた。  哀ともう一人の大人びた少年が断ったため、他の3人で飼うことになり勿論歩美も貰った。  その歩美のカブトムシが、昨夜死んだ。  彼女はマンションに住んでいたためそれを弔うことができず  庭のある博士の家で葬ってもらえないかと頼んだのである。  泣きそうな顔で――実際泣いた後だったのだろうが――頭を下げてきた彼女に、 博士は神妙な面持ちで頷き場所を提供した。  そして次の日の今日、元太や光彦らと協力して墓を作った。  穴を掘ってかまぼこ板に名前を書いてちゃんと線香も立てた。  同じく飼うのを断っていた少年は居候先の親子と旅行のため昨日からいなかったが、 この家の住人である哀はこれには始終協力している。  小さな墓を前にして、腰をかがめた。  綺麗とは言えないが心をこめて作った墓だ。  生前少女に大事に育ててもらっていたようだが、やはり都会の空気には馴染まなかったのだろう。  昼間もそう言って少女を慰めたのを思い出す。  まあ、今は元気を取り戻して居間でゲームをしているが。  実験以外で虫を飼ったことのない哀は、今回初めて経験した「お墓作り」を不思議な気持ちで振り返りながら、 少し斜めに傾いた板を真っ直ぐに戻した。  つと、その時背後から近づいてきた足音に気付く。  腰を上げて振り返るとそこには歩美や元太と遊んでいたはずの光彦が立っていて。  いつもより明るさの無い顔でこちらを見ている。 「どうしたの円谷君」 「あ、いや、灰原さんが外に出るのが見えたんで……」  気になってついてきたと言うことだろう。  少年はそのまま哀の隣まで歩み寄り同じく墓を見下ろした。  どこか元気の無い光彦を横目で伺った彼女は直接顔を向けず話しかける。 「あなた、元気が無さそうね」 「……そうですか?」 「ええ。いつものように目が輝いていないもの。このお墓が原因?」 「いや、そういうわけじゃないんですけど……」  そのまま少年は口を閉ざしてしまう。  ここで畳み掛けるように聞くのは得策では無いと思った哀も無言になる。  時には遊んでいる子供の声が耳に入りつつ、暫くの間鈴虫の声だけが周りを包んだ。  上空を飛ぶ飛行機のエンジン音も聞こえた。  そして、 「灰原さん」 「……何かしら」  呼ばれたほうに顔を向け、 「なんで人は死ぬんですか?」  その質問に目を見開いた。 「今日お墓作ってるときに思ったんです。なんでカブトムシは死んだのかなって。 死んだらどうなるんだろうって」  歩美や元太は「また生まれ変わったらどこかで会おうね」と言い小さな墓に手を合わせた。  でも光彦にはそうは思えなかった。 「カブトムシは、死んだら生き返れませんよね?もちろん人間も」  聡明すぎる少年は死んだらすべての物が土に還ることを知っていた。  生き返るなんてことは物理学的にありえないとも。 「だから、なんで死ぬんでしょう。なんでこの世に生まれてきたのでしょう」 ――生き返れないのに  そこまで言って、俯いてしまった。  墓を作っていたときからずっと胸に抱いていた疑問に違いない。  小さな体に大きな疑問。その大きさに持て余し、博識である哀に聞きたくなったのだろう。  だがそんな彼女も咄嗟に応えることができなかった。  もちろん死んだら生き返れないことは十分知っている。  実際身内を失って実感したこともある。それどころか、逆に手がけていたことすらも。  しかしこの問いに自分は答える権利があるのだろうか。  人間のメカニズムを熟知しているはずの自分でさえも、「死」は扱いきれぬのだ。  と言うより、扱えるほうが異常だ。  だから普通に「わからない」と答えてもいいのかもしれないが、  聞いた側にとって何の解決にもならない。もっと考え込んでしまうのが目に見える。  それは哀にとっても望ましくないことなのでどう対処したらいいものかと様々な考えを巡らしてみた。  なんで死ぬのかはわからない。  でも何かもっと別の見方は無いだろうかと思う。  死ぬだけが人生じゃないのだ。  自分だっていつかは死ぬ。それは明日かもしれないし数十年後かもしれない。  不確かな時を過ごしながら生きている。死ぬことを承知の上で生きている。  それはきっと、死ぬためじゃない。  死ぬために生きる。  生きるために生まれた。  生まれるために、何をした?  そこまで考えて解決の糸口が見えそうになる。  同時に再び子供二人の元気な声が聞こえてきた。 ――ああ、これだわ  確かに形作る、何かが頭に浮かび上がる。  どこかしら穏やかな気分になりながら。  自分にとってはこれなのだと一つの光が見えた感じだ。  そのまま柔らかい顔つきで「円谷君」と呼びかける。  はっと現実に返ったように少年もそちらに向き顔を合わせる形になって彼女は話し始めた。 「死ぬために生まれてくる。それは結果論にすぎないわ」  死ぬまでには様々な生き方があったはず。  死んだ姉を思い返しながら哀は言う。 「私にもどうして死ぬとかははっきり言ってわからないわ」  光彦はじっと耳を傾け次の言葉を待つ。 「でも、どうして生きているのかは何となくわかっているつもりよ」  少し間を置き彼女が続けた。 「人に会うためだわ。色んな人と出会って色んなことを考えるために生きているのよ」  姉に会うため、この子供達とその元気な声に会うため、そして  ”あの人”に会って思いも寄らぬ感情を抱くため。  出会いには意味のある何かが存在している。  言い表すことは難しいが、それはとても大事なことなのだ。きっと。  だからこそ自分達という「次」が生まれてきたのだ。 「じゃあこのカブトムシも歩美ちゃんに会うために生まれたんですか?」 「……そういうことになるかしらね。都会で生きることになったのが良いことかは わからないけど、彼女と出会った事に損は無いと思うわ。もちろん彼女にとっても」  たった今思いついた考えだったが、我ながら納得しているのが  彼女にとっても不思議であり意外であった。  そこまで人生における出会いを大事に思っていたということなのだから。  一方光彦は到底小学一年生とは思えぬ頭をフル回転しているのか、そのまま黙り、 彼女は先ほどと同じようにそれを見守る。  わかってもらえただろうかと少し不安になりながら、結果を待った。  審判を仰ぐかのようにハラハラしているのが自分でもわかる。  そして、次の少年の言葉で判決はすぐさま出た。 「それなら、僕は灰原さんと出会うために生まれてきたんですね!」  そう言って笑いかけてきたのだ。  瞬間哀は、心臓が口から出るのではと思うくらい胸が鼓動した。  ここに来て始めてみる笑顔だったが、それは今の彼女にとって問題では無い。 「……”私と”、ではなく”皆と”出会うためでしょう?」 「でも灰原さんに出会うためでもありますよ!歩美ちゃんや元太君やコナン君に博士にもみーんな、 出会うためですけど、それでも貴女に会うためでもあるじゃないですか」  僕間違ったこと言ってないですよね、とらんらんと輝く目がそう聞いている。 ――参った  そんな目に哀は心の中でぺちんと頭を叩くかのようにため息を一つ付いた。  にこにことしながら中々な殺し文句を言ってくれるものだ。  子供とはいえ「貴女に会うために生まれてきた」なんて言われて何も感じない女はいない。  一体この子はどんな大人に成長するのか。 「……全く、さっきまで悩んでいたとは思えない台詞ね」 「そうですか?」  何の意図も無い無邪気な殺し文句を言った少年に対してか、そんな文句に心が 一瞬揺れた自分に対してかはわからないが、何かがおかしくて哀は肩を上下して思わず笑った。  久しぶりに笑ったためその衝動を抑えることが出来ない。  珍しい様子に光彦もきょとんと目を丸くし、次には同じように笑う。  滅多に見れない光景をあごが外れる程の衝撃で目撃してしまった、 リビングの博士に気付かないくらい彼らは笑いあった。  結局なんで死ぬのかはわからなかったが、二人の胸には確かに生きる意味がある。  生きる二人を後押しするかのように、雲間からのぞいた月が小さな墓を照らし始めていた。