受け止めたひと
機嫌が悪いとき。 人間誰しも意識的にも無意識的にも何かしらのサインが出される。 例えば白鳥君の場合。 彼はお小言が増える。何やらずっとぶつぶつ言う。 千葉君の場合。 食べる量が更に増える。 いわゆるやけ食いだと思う。 目暮警部の場合。 カミナリがいつもより大きくなる。 そして私の場合。 自覚はしていなけど、由美に言わせるなら「後ろを振り向かなくなる」らしい。 じっとどこか一点を見つめたまま、不穏な空気を漂わせているとのこと。 自分では気付いていないことだった。 でも、誰でも自覚していたらそれを表には出さないだろうし、わからなくても当然かもしれない。 で、この深夜二時の捜査一課の隅のデスクで報告書を書いている「彼」の場合。 被害者遺族の元へ犯人逮捕までの経緯を説明して、やっと警視庁に帰って来たら、 高木君はデスクに座っていた。 そのデスクの有様を見て「ああ、久しぶりに機嫌悪いんだな」と察した。 それも結構なご機嫌斜めモード。 彼は機嫌が悪いとき、コーヒーを飲みまくるのだ。 しかもブラックで。 飲むだけで、表情や態度はいつもと変わらないので他の刑事達は気付いていないことかもしれない。 事実、私も付き合い始めるまではわからなかった。 だけど、彼との距離がぐんと縮まってから知った。 滅多に攻撃的な感情を出さない彼がそれを出したとき、直接胃袋に流し込むように缶コーヒーを飲むことに。 デスクの上にプルタブがあいた缶が5,6本転がっている、今のような状態だ。 そういえば、今回の犯人の最初の取調べに高木君がついていたと、さっき先輩刑事に教わった。 中々取調べしにくい精神状態の犯人だったらしいが、彼がついて次に目暮警部が交代したときには 素直にぺらぺら話したとも聞いた。 先輩刑事はさすが警部だなとか言っていたけど、私は違うと思う。 きっと、高木君が結構きついお灸をすえたんだなと予想した。 決して抜けない五寸釘のようなお灸を犯人にすえ、逃げること不可能にしたのだ。 たまにえげつないことするわよね、と内心舌を巻いた。 そんな彼もひっくるめて魅力的だと思う辺り、惚れた弱みなのかどうかはわからないが。 しかし、近づけばやけどしそうな魅力は少し遠目からみるくらいが丁度良い。 「おつかれさま、高木君」 それでも私は彼に声をかけた。 かけられた本人は、そこでやっと私の存在に気付いて頬を緩ませた。 彼の気持ちが少しでもいつもに戻ったことに、優越感を抱いたのはここだけの話だ。 「佐藤さんも遅くまでお疲れ様です。これから仮眠ですか?」 「んー、私も報告書書いてからからかな。あなたこそ今日は寝る気無いのかしら。 そんなにコーヒー飲んじゃって。その内胃に穴空くわよ」 白々しく、私は冗談を言う。 コーヒーで空きはしませんよ、と苦笑いをする彼の隣の椅子に座った。 確か千葉君のデスクだったはず。 ミニチュアサイズの怪獣や昨日発売されたばかりの菓子パンが置いてある。 小さな怪獣は、すぐ横の高木君の同じくフィギアの車に向かって吼えていた。 奇妙で小さな世界。 その世界を一回り大きな私と高木君と言う世界が覆っている。 「……で。明日はもう大丈夫?」 そして、傍からではよくわからない問いかけを、彼の顔を覗き込むようにして投げかけた。 でも、彼には私の質問の意味がわかったらしい。暗黙の了解といえば、少し違うかもしれないが。 彼は一瞬目を丸くした後、頭をかいた。 何かを考えてる様子だ。 「まあ、明日までには戻します」 「そう」 この会話だけで十分。 私は、明日までにいつもの自分に戻せるかと聞いて、彼は戻すと言った。 巷をにぎわせていた犯人の電撃逮捕だ。 明日はもっと忙しくなるに違いない。 彼が捜査に支障をきたすような心の乱れをおかすとは思えない。 だが、今日のように犯人の精神を突くような攻撃性を持っていては、いつどこで敏感な人間に気付かれるかわからない。 それこそ、今回の事件にも関わった元・高校生探偵なら。 あの青年に察せられることは、きっと高木君の望むところではない。 だって高木君は優しいから。 私は、彼の隣で書類を出し始めた。 お互いに黙って仕事を再開する。 「――佐藤さん」 報告書に視線を落としたまま、彼は不意に呼ぶ。 「なに?」 幾分静かな声で、私も顔を上げないで答える。 「僕ね、どうしても許せなかったんですよ」 何に、とは聞かなかった。 というより、聞けなかった。 あまりにも悲痛な心の叫びを、私は、黙って受け入れる。 また彼は缶コーヒーのプルタブを空ける。 これで7本目。 私は、黙ってそれも受け入れた。 彼が流し込みたかったのは、苦味ではなく怒りではないかと思うのだ。 手元の怪獣が吐く見えない炎よりも、ずっと熱くてずっと冷たい怒りを。