願ったひと
「ねえ、爆死する時ってどんな感じなのかしら」 「……突然物騒な話題ですねえ」  捜査一課から一番近くにある自販機コーナーのベンチに座って、佐藤はぽつりと呟いた。  手にはホットココア。最近急に冷え込んできて、彼女がよく飲むようになったものだ。  対する高木は、彼女と背中合わせになる形で反対側のベンチに座っている。先にここに来ていたのは彼だ。  そこに後から別の仕事を終えた彼女がふらりとやって来て、隣ではなく反対側に座った。  そして暫く捜査の話などをし、不意に出てきた会話がこれである。  彼は物騒とは言いつつ、佐藤の呟きにさほど驚きはしていない。微糖の缶コーヒーを一口飲む。   「やっぱ痛いのかしら」 「さあ、でも爆死って一瞬だと言いますよね」 「でも一瞬ということは、少しでも時間はあるってことじゃない?」 「それは……そうですね」  深夜の自販機コーナーで、ほぼ同時にそれぞれの飲み物を口に入れる。そしてやはり同時に息を吐いた。  しかし、次の行動は別だった。佐藤は手元の缶コーヒーを見下ろし、高木は天井を見上げた。   「そういえば僕、以前爆死しかけたことあるんですけど」  彼は傍から聞けばとんでもないことを何気なく言った。東都タワーで起こった爆破未遂事件。  それに巻き込まれた経験のある彼は、しみじみと語る。 「あれはー……肝を冷やしましたねー…」  当時のことを思い出し、苦笑いを浮かべた。  今だからこそ苦笑いで済むが、その時の心境はすぐに言い表せるものではない。 「やっぱり怖かった?」  そんな背後の彼に、佐藤は視線向けた。 「怖い、というよりホントにヒヤッとしたんですよ」  高木も四十五度首を右に回して、彼女に目を遣る。  その気配を察して、今度は佐藤が上半身を左へひねった。  彼の横顔を伺うような形になる。 「死ぬんだな、って思った?」  その問いに、彼はすぐには答えない。その代わり、手に持っていた缶をベンチに置いて立ち上がった。  そしてベンチの裏を回り込み、佐藤の目の前にしゃがみこんだ。  佐藤は一瞬何のつもりなのかと、首をかしげる。  しかし自分の膝くらいにいる彼と視線を合わせるべく、姿勢を元に戻した。  素直に見下ろす彼女の目を見つめ、彼は口を開いた。 「それも思いはしましたけど、最終的には佐藤さんのことを考えていたような気がします」  佐藤が少しだけ目を大きくする。一瞬泣くかのように目を震わせたが、すぐに破顔した。  触れればぼろぼろと崩れていきそうな、砂の城。 「それって口説き文句? それとも気遣い?」  彼は佐藤のそれとは違い、暖かい色を持った笑顔を見せる。 「僕がそんな器用なことできると思いますか?」  彼女はおかしそうに噴き出して、顔を横に振った。次に、右手でベンチに座る自分の側をぽんぽんと叩いた。  ここに座って、と言うように。  恋人のささやかな願いに、高木は大人しくご希望の腰を下ろす。  いつもなら、二人でこういった状態になれば、彼女が顔を彼の肩にもたれかけさせてくる。  しかし今日は違っていた。  佐藤はまっすぐ前を向いたまま、彼と触れるか否かの距離を保った。暫くの間、その距離が無言で続く。  自販機の電子音だけがコーナーに響き、高木もぼんやりと目の前の麻薬撲滅ポスターを眺めた。   あまりにも静かだったので、彼女のつばを飲み込む音が彼には聞こえた。  そして壁にかけてある時計が十二を指した。十一月七日0時0分。  それを見計らっていたかのように、佐藤が、先ほどの呟きよりも更にかすれるような声で言った。 「きっと、松田君はほんとにほんとの最期の時、違う人のこと考えてたのよ」  高木は、彼女自身ではなく手元のココアを見た。 「萩原刑事、ですか」  人伝えに聞いた殉職刑事の名を出す。それに対しては、彼女はゆっくりと首をかしげた。 「それはわからないわ。でも、絶対に私じゃなかったことだけは確かだと思うの」  『追伸 あんたのことわりと好きだったぜ』そんなメールを爆破で死ぬ直前に受け取りはしたが、 それでも佐藤は何かしらの確信を持っているようだった。捜査で事実を説明するときのような、淡々とした口調。  一方の高木はそのメールまでは知らない。しかし少しだけ考えた後優しい声で問いかける。   「寂しかったですか?」 「――ううん」  佐藤は目を伏せる。 「それに、彼が私のことを考えるなんて絶対にありえないことなの」 「そうですか」  そこで彼女は、やっといつものように彼の肩に顔をもたれかけさせてきた。  目を閉じて、じっと彼の暖かみを感じて。  そんな恋人の仕草を、高木は静かに受け止める。肩を抱きもせず、声もかけず。ただ居るだけの存在として。  彼女に今必要なことはそういうことなのだと、彼はわかっていた。  二人の背後に置かれた彼のコーヒーは、すっかり冷めてしまっていた。