雪あらし
――『天気予報です。本日12月25日は東京一円が猛吹雪となり、ところによっては警報が出る恐れもあります。外出にはくれぐれもご注意ください』
車のラジオからは今の気象状況が逐次伝えられている。
クリスマスの日に雪といえばロマンチックだが、ここまで吹雪いてはホワイトクリスマスもへったくれも無い。
かじかんだ手を息で温めながら後部座席の窓から真っ白な外界を見た。
真っ白すぎで何も見えなかったが。
こういうのを雪あらしと言うのだろう。
「すまんのう、車内が暖まる前に事務所に着きそうじゃ」
「いいよ、送ってくれただけでもありがたいから」
運転座席から博士が謝る。
博士の家から毛利探偵事務所までは元々が徒歩で行ける距離なので、車で向かうとヒーターが中を暖めない内に着いてしまうのだ。
徒歩で帰れる距離で車に乗せてもらったのは猛吹雪のため。
歩きで帰るには大人でも大変な状況である。
白い息を吐くコナンの隣で哀はくすりと笑った。
「名探偵さんも寒さには適わないようね」
「大抵の寒さなら我慢するけど今日は異常だろ。つーか、お前が平気なのがおかしいって」
信じられないといった風に彼女をジト目で見る。
それに対して彼女は肩をすくめた。
「暑さに弱い分、寒さには結構強いのよ。やっぱり心が冷たいからかしらね?」
「・・・・・・coldっていうよりcoolって感じだけどな、お前は」
「どっちでも日本語に直せば”冷たい”わよ」
「じゃあ俺まで冷たくなるじゃねーか」
cool kidと呼ばれることもあるコナンは確かに彼女の理屈で言えば冷たくなる。
哀が本心から言ったものではなく、彼女独特のジョークだとわかっていたのでその言葉の上に更に冗談を重ね楽しんだ。
このように2人が冗談を言い合うのは珍しい。
やはり先ほどまで博士宅で行われていたクリスマスパーティーのせいだろうか。
歩美、元太、光彦といういつものメンバーと共にプレゼント交換や食事を楽しんだ。
子供っぽいパーティーとはいえ悪い気はしない。
コナンと哀もそれなりに気分は上がっていたほうだろう。
特に哀はこんなどこにでもあるようなクリスマス会に出たことはなかったので興味津々だったようだ。
しかし、朝は雪もちらほらとしか降っていなかったので、パーティーは催されたのだが、夕方頃から急に吹雪いてきたためそのまま打ち切りになってしまった。
外は吹雪で危ないのでコナンは博士の車で、他の3人は迎えに来た親の車でそれぞれ
帰路に着いているのである。
そうこうしている内に黄色のビートルは事務所に前に着いた。
ジャケットのジッパーを上げてコナンはドアを開ける。
「じゃあ、ありがとう博士。灰原も今日はサンキュ」
「おお、気をつけてな」
「・・・・・・工藤君」
礼を言ってドアを閉めようとしたが、彼女の言葉で手の動きをぴたりと止める。
何だ、と怪訝そうな視線を彼女に向けると今までの会話の間よりも幾分真面目な目つきでこちらを見ている。
「今のあなたは多分coolでありhotでもあるんじゃないのかしら」
何となく謎めいた言葉だ。
「・・・・・・今は、か?」
面白そうにコナンは問い返す。
こういう彼女のミステリアスな口調は嫌いじゃない。
「ええ、そう。TPOに応じてあなたはその二つを使い分けているわ。でもこの雪のように人の温かさを一瞬にして凍らせてしまう冷たさがあるのも事実よ」
人の心が常に温かいわけではない。
時に人は残酷にもなる。
そう言いたいのだろうか。
クリスマスの今日それを言う彼女の意図は掴みきれないが、それは警告のようには聞こえなかった。
「その言葉、プレゼントとして貰っておくよ」
「・・・・・・そこまで良いもんじゃないわ」
メリークリスマス、そう呟いて彼はドアをばたんと閉めた。
1人減った車内で博士が後ろに向かって問う。
「今のはどういう意味かのう?」
「そのままの意味よ。ただあの探偵さんは自覚していないようだから言ってあげただけ」
自覚しないまま今の心境が続いても後々ややこしいことになるだけだ、と哀は人知れずため息をついた。
自分も大概お人よしになってきたような気がする。
ビートルが走り去るのを見届けてからコナンは事務所への階段を上った。
扉をがちゃりと開けて中を見れば誰も見当たらない。
小五郎は近所のパブで飲み会だし、蘭は園子の家でパーティーのはずだ。
朝出かける前に聞いた予定を思い出し扉を閉めて中に入る。
そしてカバンをソファに置こうとして回り込んだとたん、目に飛び込んできた光景に驚いてびくっと肩を上げた。
ソファには外出しているはずの蘭がすやすやと寝ていたのだ。
「なんでもう帰ってるんだ・・・・・・?」
疑問を頭に抱えながら正面のもうひとつのソファにカバンを静かに置く。
すると音は立ててないが、その動作の空気に気づいたのかゆっくりと彼女が目を覚ました。
「あ、コナン君お帰り」
「ただいま。ごめん起こしちゃって。でも早かったね、帰ってくるの」
彼女はまだ頭がぼーっとするのか、横になったまま少年のほうに顔を向ける。
「うん、吹雪いてるから早めに帰って来ちゃった。園子も泊まればって言ってくれたんだけど、お父さんとコナン君残して私だけ泊まるのもなんか悪いなあって」
「そっか、ありがとう」
「そういえば今何時かしら?ご飯の用意をしないと・・・・・・」
「5時過ぎだよ。疲れてるみたいだしもうちょっと寝ておいたほうがいいよ。
僕博士の家でお昼いっぱい食べたし、残ったおかずももらってきたんだ。
だからご飯のことは気にしなくていいよ」
コナンはにっこり笑ってカバンからタッパに入れたチキンやサラダを取り出した。
パーティーの打ち切りのため余ったおかずを哀がコナンや歩美達に分けてあげたものだ。
これで後はご飯を炊くだけで十分夜は足りるだろう。
「あら、助かるわ。・・・・・・じゃあ、もう少しだけ寝させてもらおうかな」
「うん、おやすみなさい」
もともと夢うつつだった彼女はそのまますぐに目を閉じ再び眠りについた。
何も羽織らないままで寝ては風邪を引くので、彼は彼女の部屋から毛布を引っ張り出し、それをかけてやる。
帰宅してすぐ寝てしまったらしく、ストーブさえついていなかった室内はひんやりとしていた。
彼はすぐさまストーブの向きを彼女のほうに変えて、電源ボタンをカチリと押す。
まだしばらくはこの冷気が続くだろう。
寒さというのは人の体力を奪いやすい。
ましてやこの吹雪だ。
ぱっと見からして彼女はどうも疲れているように思われた。
普段の気苦労がここに来て一気に出てきたのかもしれない。
荒々しく外の吹雪がビルに打ちつける。
そうではなくても安っぽい窓は普段からはまりが悪いのに余計にがたがたと揺れていた。
さてこれからどうしようかと一旦辺りを見回すと窓の下に溜まった結露を見つける。
その辺にあった雑巾で水滴をふき取った。
これはいつもは彼女がやっていることだ。
工藤家では拭かなくてもそんなに支障はないのだが、ここの窓は拭かないと後が困る。
錆付いたら大変だからだ。
ふき取った後彼は雑巾を小五郎が座っていた椅子にぽいと放り投げてキッチンからドリップ式のコーヒーを淹れた。
そして彼女とは反対側のソファに座った。
自然と寝ている顔が視界に入ることになる。
人の寝顔を見るとはあまり褒められたものではないだろうが、ここは自分と彼女の2人だけだ。
文句を言う者はいない。
湯気の立つカップに口を近づけ息を吹き冷ます。
吹いた反動で眼鏡が曇ったので机の上に外したそれを置いた。
その時彼女が握り締めている携帯が視界に入る。
自分が上げたストラップがだらりとソファから垂れていた。
抜き取ってテーブルに置いてあげようとも考えるが、あまりにも大切そうに抱えているためあきらめる。
誰かからの電話を待っているのかもしれない。
相手は言わずともわかる。
自惚れない程度にそれは自覚しているつもりだ。
ずっと待ち望んでいる人物が目の前にいるとは知らず、すうすうと安らかに眠る綺麗な顔は自分の頬を赤くさせていた。
思わず視線を外し窓のほうを向く。
もう真っ白としか言えないほど窓はほかの色が見えない。
ごうごうと雪あらしの音が聞こえるだけ。
そうして、もう一度正面に視線を向けて彼女を見た。
邪気の無いかわいらしい寝顔。
その美しさに鼓動が高鳴るのは事実だ。
しかしその高鳴る原因を考えた時、ある違和感を覚えた。
今まで気付かなかった感情である。
「人の心、か・・・・・・」
あの少女の言葉が蘇り、戸惑うように一人つぶやく。
哀はこの感情の変化に本人よりも先に気付いていたというのか?
蘭を見つめればどきどきするし、顔も赤くなる。
子ども扱いされてひざに乗せられれば恥ずかしくなってじたばたする。
今だって彼女の寝顔を見て顔を紅くした。
――でもそれは、恋ではないかもしれない。
自分で思い立った考えに背筋が凍る。
コナンになる前、蘭は「愛しい人」だった。
からかわれてキスの話題を出されれば真っ赤になり非常に焦った。
手をつなぐなど今のままではできないだろうというくらいプラトニックな想いだったが、そこには確かに「恋情」があったのだ。
しかし今はどうだろう。
手も普通につなぐし、抱きかかえられても最近はあまり抵抗感がなくなっている。
あの頃の想いはどこに行ったというのだ。
今の自分にとって彼女は「尊い人」。
聖なるこの日に生まれた御子を産んだ母のような、絶対的不可侵領域。
想ってはいけない。
触れてはいけない。
欲してはいけない。
コナンである自分が17歳の彼女に恋焦がれてはいけない。
そう心に強く留めて生活していたら、本当に尊い人としか見れなくなってきた。
彼女の寝顔を眺めて鼓動が高鳴るのも、尊い人の普段見れない素顔だから。
今までその事実に気付いてこなかったのは自分自身で無意識に避けてきた可能性もある。
しかし先ほどの哀の言葉と今の心境でそれは否が応でも自覚しなければならない状況となってしまった。
避けてきたその感情は間違ってはいない。
目の前の彼女を見て思慕の情を抱かないよう心がけるのは正しいはず。
正体がばれないようにするためにはそうするしかないのだ。
小学1年生が高校2年生に、純粋な想いならまだしも邪な感情を抱いてはまずいだろう。
でも、元に戻っても今の感情のままだったら?
「尊い人」と見ていたら?
「愛しい人」と見れなかったら?
何せ、雪のように人の温かさを一瞬にして凍らせてしまう冷たさがあるのも事実なのだから。
「・・・・・・くだらねえな」
自分の考えに嘲笑しソファから立ち上がった。
カップを置いた机から回り込んで寝ている彼女の目の前に歩み寄る。
小さな体では、立っていても蘭の顔の少し上くらいにしかならない。
いつも見上げている分こうして上から見下ろすのは久しぶりである。
じっと、見た。
あまりドキドキはしなかった。
その代わり彼女の寝顔はとてもまぶしかった。
本当に彼女はもう愛しい人ではなくなったのか。
いったんは否定した考えが再浮上し今度は本当に打ち消すように首を横に振った。
少女の一言によって自覚させられた事実は知らないままのほうが良かったとは思わない。
この先もなお気付かなかったら何かが手遅れになったような気がするからだ。
しかし自覚したその感情をそのままにしておくわけにもいかない。
自分は彼女の元へいつか戻るのに。
こんな感情のまま彼女には会えない。
ストーブと彼女の間に立ったため、背中が温風で熱くなる。
それを避けようとはせず、ゆっくりと跪き目線を同じにした。
疲れて熟睡しているため全く起きる気配がない。
少しだけ寂しそうな寝顔に心が締め付けられた。
本当に自分の心が愛しさから尊さへと変わりつつあるのなら。
雪のように移ろい消えてしまう感情があるのなら。
どうかもう一度愛しさへと変わってくれ。
理論的には十分ありえるはずだ。
コナンは尊い人に恋人のような仕草で携帯を持っていないほうの手を恭しく取る。
そして、祈るようにその手の甲へそっと自分の額を当てた。
雪あらしは、まだ止まない。
――『天気速報です。現在米花市にて大雪警報が発令されたとの発表が――』
(24/12/2007)
無断転載禁止
-Powered by HTML DWARF-